[Message Prev][Message Next][Thread Prev][Thread Next][Message Index][Thread Index]
[vsnet-j 220] Re: CCD vs visual observations
- Date: Thu, 16 Nov 2000 21:10:21 +0900 (JST)
- To: vsnet-j
- From: Taichi Kato <tkato>
- Subject: [vsnet-j 220] Re: CCD vs visual observations
- Sender: owner-vsnet-j@kusastro.kyoto-u.ac.jp
Re: [vsnet-j 219] Re: CCD vs visual observations
最初に述べておきますが、「CCDこそ本命」のかなり過激な(?)人たちを代弁して
いるわけではありませんが、これからの変光星観測を考えて行くに当たって考え
ておかなくてはならないだろう、という点と、海外ですでに動きが出ているのを
どう考えますか?(もしかすると影響が及んでくるかも知れない) という点を
中心に考えています。
逆に言うと、何が何でも現状(ないし過去)を擁護する立場でもないです。
> つまり、コストの面では望遠鏡だけではすまないという
> ことです。金持ちであるという条件がつきかねない。^^;
これは AAVSO の議論でも出ていました。そりゃアメリカではCCD安いからいい
かも知れないけど、ヨーロッパで買うと2−3倍はするとか、CCDだけで全世
界をカバーすることはできないので、発展途上国の観測はどうするのか、とか。
ただしこれもあまり論じていると経済問題の感情的議論になりかねない気もしま
す。#そもそもなんでアメリカの外で買うだけでそんなに高いんじゃ、とか (^^;
> そして、新規参入にしても、どちらが良いかとい
> えば、双眼鏡一本ではじめられるのと、PC+CCD+望遠鏡がいるのではまった
> く違いますよ。
CCDでの変光星観測はこれまでフルスペックのCCDやPCを使うことが前提
になっていましたが、これからはPC不要のCCDが出てくるでしょうし(すで
にその動きがありますね)、もしかするとデータ受信は携帯電話が端末、なんて
こともあるかも知れませんね。
> 移動運搬は、
> 前者はそんなに負担にならないしどこでもはじめられますけど、後者は残念ながら
> 簡単ではありません。近くに空き地にいってやるにしても最低限車が必要だし、
「移動観測」という視点は海外では出ていなかった新しい観点かも知れませんね。
(日本の特殊事情なのかも知れないけど)。でも、おそらくこれまで眼視観測は
ほとんど不可能と思える環境こそ、CCDが最も威力を発揮しそうな分野でもあ
りそうなので、「移動しないで観測できる」メリットの方が大きいのかも知れま
せん。(双眼鏡クラスならばともかく、眼視観測でもやはり望遠鏡を運ぶのは同
じぐらい苦労するでしょうし。CCDのおかげで口径が半分で済めば、実はそち
らの方が制約が小さくなる可能性すらあるかも知れません)。
> 世界の現状を把握しているわけじゃないですが、普及していれば分かるけど、どん
> な観測をしていてもその人を尊重する必要があると思う。
> 一番心配なんは、観測者が状況変化の結果大幅に選択されてしまい生き残れるのが
> がたっと減ることです。極端な変化をめざすとどうしても起きます。俺がキャンペー
> ンはるなら、おしまいにするというより、できればCCDをやっていきましょうよ。っ
> て方向かな。緩やかな変革です。いずれにしてもこの手の議論がひどく行われると、
> 観測者のやる気をそぐ危険性を感じます。
確かにそう思いますし、AAVSO の方の議論でも同じ趣旨の反論がありました。
でも、どうもこれまでと様子が違うようにも思えます。何と言うのかなあ、
個人の方法や趣向はもちろん尊重されるべきだ、しかし科学的に調査しようと
するのであれば「より優れた」方法を可能な限り採用すべきだ、みたいなニュ
アンスでしょうか。眼視観測で光階値を小さくしたり、個人差を小さくする努
力(それは「より優れた」データを得たいためのものではあるのですが)は無
駄に近いので、それらをすぱっとやめてCCDに移行しなさい、というのが
Skiff のもともとの文脈だったりするわけです。他の議論の動向とも合わせて
考えると、こういう点で眼視観測を改善しようと考えていたり、眼視観測の有
用性を主張しているのは、いわゆる古い人ばかりで、そういう人たちの考えと
は裏腹に新しい人はこの分野にあまり入ってきていないのではないかな、と思
わせるふしがあります。逆にそういう「眼視観測を極めよう」人たちの主張が、
新しい眼視観測者にとって近寄り難さをもらたしていることすらあるのかも知
れません。(どうもAAVSOで提起された議論を見ていると、新しい人への呼び
掛けというよりは、むしろ古くからの人に対する呼び掛けであるように思えま
した)。
> ちょっと見えてこないのですが、何で継続性の重要性が落ちてきたのでしょう?
> 将来において実は興味深い星だったと分かったときに、その星の光度曲線があると
> いうことがあまり、意味がないと考えられるの。。。。。
継続性の意味はもちろんあるのですが、より精度を高く、できるだけ多くの星を
記録を残すために、これからの分こそできるだけ早くCCDを使いなさい、とい
う感じなのかなあ。
もっと根本的に継続性そのものがそれほど意味がない、という考えも実はあった
りするのかも知れませんが。これはよくわかりません(例えば100年間1000個の
星をモニターするのと、1年でよいから100000個モニターするのと価値はあまり
変わらない、という考えがあっても、一概には否定できないかも)。
もっとも、「重要性」「必要性」だけで観測が成り立っているわけでもないので、
(重要であっても、必要であっても観測されていないケースはいくらでもある)
それだけで考えると良くないのかも知れませんが。
tkato